Kemonomyth全訳 けものフレンズと単一神話論 (文字起こし)

「ヒトは話が長ったらしいのです」 ――ハカセ

書き起こした人まえがき

本記事は,以下の動画の内容を文字に起こしたものです.

原著者Giraffe-anon氏,訳者じゃぱり氏に感謝します.

訳者まえがき

この文章は,Giraffe-anon氏によって書かれた”Kemonomth”の全訳です.

翻訳にあたって,用語や引用は可能な限り「千の顔を持つ英雄[新訳版]」で採用されている訳を取ってくるよう努めました.

掲載している図はすべて私が勝手につけたものなので,原著者の思惑とは異なる場合があります.

そしてもちろん,翻訳ミスもたっぷりあると思います.英語力に自信のある方は,是非原文を読んでみてください.

はじめに
Forward

けものフレンズは明るく楽しく愉快なものであり,これから語る内容は,それを否定するものではない.

私は(かばんはヒトではなくヒトのフレンズではないかという考察をきっかけとして)けもフレについて時折思案するようになったが,次のエピソードまでにはIQが溶けて心の平静を取り戻していた.そして,沼に落ちた.

このエッセイでは,ジョーゼフ・キャンベルのモノミスがけもフレにも現れていることを詳細に見ていき,モノミスの構造を基にけもフレのテーマを解き明かす.

この試みに意味があるのかと疑問に思うかもしれない.しかしその懐疑を一旦収めていただけないだろうか.あなたの考えや感情を尊重しており,それを枠にはめようとするものではない.あとはこのエッセイが自ずから語るに任せよう.

あなたがけものフレンズファンならば,読むのをやめる前に数セクションは読んでしまうと信じている.

今回はモノミスが「どのように現れているか」にのみ焦点を当てる.なぜなら作者の意図は議論の的ではないからだ.

キャンベルには詩的な空想へ走る傾向があるが,その要素は彼のより根拠のある主張のために弱めておく.そうしなければ我々の考察は「かばんの英雄的ちんぽには尿道割礼によって生じた陰茎子宮が存在するか」のような狂ったものになってしまう.そのような質問には答えようがない.

けものフレンズ(以下けもフレ)は,漫画やゲームその他の資料とは無関係に,完全な自己完結作品として扱う.Crunchyrollの翻訳を使うが,重要な部分ではその正確さを確認した.

参考にしたのはジョーゼフ・キャンベルの”The Hero with a Thousand Faces”のみであって,同様の主題を持つ派生および要約本は使わない.

けもフレは東洋哲学とそれに関連する比喩を使うことでより正確に理解できるかもしれないが,それらに関する私の知識はそれほど多くないため,モノミスと,西洋の世界における同等の概念でなんとかする.我々は西洋人であり,それが我々の受け取り方である.

基本的に作品の時系列に沿って話を進めるが,他の部分のイベントについても必要に応じて取り上げる.

処女出産
The Virgin Birth

我々の英雄,かばんは古い民間神話における最初の人間のように,その辺に落ちていたものから偶然に生まれた.彼女の場合,帽子に残された髪の毛からである.

彼女の体が形作られた直後,帽子の片方の羽が盗まれる.このことを最初に述べたのは,後で説明するように,けもフレの物語はこの分離によって動き出すからである.

生まれたばかりのかばんは,さばんなをしばらく彷徨ったあと,サーバルにかりごっこを強要される.飛び掛かられたかばんはサーバルに食べないでくださいと懇願する.

これはかばんがさばんなで経験することになる様々な「敗北」の始まりであり,また彼女が最も恐れているのは食べられることであるという天丼の始まりでもある.

かばんにとって幸運なことに,サーバルはフレンズ,すなわちサンドスターと呼ばれる謎の物質による魔法で作られた,ヒトとけもののハイブリッドであった.ここで,「サンドスター」という語は天(スター)と地(サンド)の複合語であることに注意していただきたい.

サーバルは混乱している捕食対象に,「サンドスターの噴火によって生まれた」に違いないと説明するが,かばんは明らかに理解できていない.

サンドスター火山は彼女らの背景にぼんやりと映し出されており,巨大な虹色の立方体が山頂から天に登るように連なっている,この世とは思えない場所である.彼女らが話す間,サンドスターの魔法の塵が彼らの周りできらきらとしている.

サンドスター火山はフレンズたちの生命の源で,キャンベルの用語で言う「世界の臍」である.そして島の中心という適切な位置にある.来たるべき彼女達の旅路はこの軸の周囲を車輪のように回り,かばんが中心に呼ばれるまで続く.

世界のへそ,あるいは世界樹,世界軸などなどは,神話においては天と地をつなぐ橋として知られている.これは難解な概念に思えるかもしれないが,我々の多くは毎年12月に,リビングの安全のため,この贈り物のシンボルを大切にする.

視聴者にはかばんが明らかに人間であるように思えるが,彼女には自身が何者なのかわからない.サーバルはかばんに,「としょかん」と呼ばれる場所に行けばそれがわかることを伝え,途中までの案内を買って出る.こうして我々の冒険も始まる.

冒険への召命と召命拒否
The Call to Adventure and Refusal of the Call

簡潔に説明すると,英雄は日常の世界から非日常の世界へと渡るよう求められ,彼はそれを受諾あるいは拒否することになる.このような物語の始まり方は広く知られており通常は特別注意を払う要素ではないが,けもフレでは通常と異なる方法で現れるので意識しなければならない.

我々が直面する最初の問題は,「最初からそこにいるかばんがどうやって召命に答え,非日常の世界への境界を超えるのか」ということだ.これに答えるため,越境を一義的には内部的な経験であると捉え,外部的な経験はそれに付随するものとして扱う.

副次的な外部的経験について先に述べよう.さばんなは日当たりの良い開けた平原で,障害物がなく,あらゆる方向を見ることができる.

この事実とサーバルの存在は,少なくとも隣接するじゃんぐるちほーには無い,物理的な安心感となんとなくの親近感をこの場所に与える.

闇と未知の空間を想像上の恐怖で埋めてしまう心の動きから,キャンベルは「非日常の世界」の典型例としてジャングルを挙げている.

一義的な境界はかばんの頭の中にある.とにもかくにも,かばんが最初から非日常の世界にいるという点で,彼女はその召命を受諾していない.(「どこここ?」が最初の言葉であったように.)

したがって,かばんが非日常の世界へと渡るには2つの境界を超えなければならない.一つはじゃんぐるちほーへの物理的な境界であり,もう一つは彼女自身の命に対する責任を受諾し,それと同時に彼女がどこにいるかを認識するための内面的な境界である.より重要なのは後者の境界である.

これが根拠のない考察(豆腐)のように思えるならば,この考察によって反証可能な予測がなされたことを念頭に置いてほしい.つまり,異なる境界の存在は冒険への異なる召命の存在を意味し,つまりは異なる「守護者」の存在を示唆する.そして,実際のところ,その通りなのだ.

召命拒否は飛ばしても良いステップである.一見すると,サーバルと一緒にとしょかんに行くことにかばんは何の異論もなくその召命を受諾したように見える.

しかし,私達が見てきたように,彼女は自分がどこにいるのかもわからず,全くの無知の状態であり,召命を受諾できる状態にない.この先に待ち受ける危険はすぐに明らかになる.

同意と受諾は同じではない.前者は受動的であり,後者は能動的である.

かばんはいくつもの失敗に悩まされる.坂から転げ落ち,最も低いバオバブの木ですらも登るのにサーバルの助けを必要とし,小さな敵に遭遇して逃げるときも転んでしまう.周囲の力全て,つまり地面,動植物,そして彼女自身の身体すらもが,彼女への脅威に突如変貌したのだ.

すべての失敗の原因は,かばんがまだ自身の生命に対する責任を受諾していない点にある.主題としては重要ではないが,これらジャパリパークに潜む日常的な危険もまた,小さな「守護者」である.

境界を越える試練に失敗した英雄は捕食され,クジラの腹の中へ入り,見かけ上の死を迎える.

かばんの召命拒否は,彼女が世界の危険さに気づきはじめ,自身に絶望したことで明らかになる.それでも,サーバルが暑さのために木陰で休まなければならなくなったときに,かばんの長所のいくつかが輝き始める.

木陰による闇と,休息し,ばったりと目を瞑り絶望した表情のかばんに,我々は「クジラの腹の中」のイメージを見出すことができる.

ここで,サーバルは息が上がっており,汗をかかない.一方でかばんは汗をかいているがはあはあしない.彼らが水場に到着したとき,サーバルが直接水を飲んだのとは違って,かばんは手を使って水を飲んだことも思い出して欲しい.

守護者と超自然的助力
Threshold Guardians and Supernatural Aid

この世界の怪物のひとつが,さばんな出口の橋のゲートを塞いでいる.これが守護者であると考えるのが妥当だろう.

しかしかばんの非日常の世界への旅は内面的なものでもあり,我々は2つの守護者の登場を予測した.境界は既知の世界と未知の危険な世界から構成される.ゲートにいる怪物は,後者のタイプの守護者である.

水場で,ちょっとしたパニックとともに,かばんは前者のタイプの守護者に出会う.カバは守護者であると同時に使者でもあるという2つの側面を持っている.

キャンベルは召命を届ける使者を,「無意識の底」,あるいは底の見えない水のようなものだと説明する.それはまさに,カバが水の中から現れたのと同様である.

サーバルの無邪気な楽観さに比べると,カバは毒舌で現実的な印象を与える.それらは水と炎のようなものだ.サーバルがかばんを世界へと呼び込む一方で,カバはかばんに彼女自身が世界を受け止めることを要求する.

カバは守護者でもある.彼女がかばんに投げかける鋭い言葉の中には,保護的なタイプの守護者にふさわしい優しさも備えている.彼女の上品な態度と言葉遣いはその映し身のようなものであり,かばんに単純なメッセージを伝える.

「ジャパリパークの掟は,自分の力で生きること.」かばんはここで,カバの伝えようとしていることを理解する.つまり,この旅は危険なものになるだろうが,誰にもあなた自身の代わりはできない,ということだ.

カバはフレンズが皆自己中心的であると言っているのではなく,単に,誰も自分自身の生存に受動的であってはならないと伝えているのだ.これは,かばんの内面を変化させようとする呼びかけである.

こうして,2つの召命があり,2つの超えるべき境界と,2つの守護者が生じた.かばんはまたも真の理解に至ることなくカバに同意し,サーバルとともにもう一つの,そしてより危険な守護者へと向かう.

彼らは看板のところで一度止まり,パークのパンフレットを獲得する.この「宝」は一考の価値がある.なぜなら,かばんが手に入れたものは,単にこれからの道を示し勝利に導くものというだけでないからだ.

サーバルはこの箱を開けられなかったし,もしパンフレットを持っていたとしても適切に使うことができなかっただろう.この世界の誰も,この特定の場所でこの特定の武器を引き抜くことができなかったのだ.つまり,これは(アーサー王の剣のような) 「石の中の剣」のモチーフだと言える.

第二の守護者はじゃんぐるという未知の領域への実際の門を塞ぐ怪物である.サーバルとかばんはこの怪物に食べられたフレンズの悲鳴を聞き,現場に駆けつける.

サーバルは犠牲者を救うため,感情的になってその怪物を攻撃する.ここにいる登場しない犠牲者はアードウルフであり,我々は彼女に後々会うことになる.

境界の守護者に対して「自分の器以上に無謀な挑戦をすれば,恥ずかしいくらいの失敗を招く」とキャンベルは指摘する.さっきまでのかばんがそうであったが,ここではサーバルがその状態にある.

カバの忠告を無視して,彼女は今まで見たこともないような怪物との勝算のない戦いに身を投じる.彼女のガイドとしての不適任さは明らかであり,すぐにその役割は取って代わられるだろう.

かばんは自らの知恵でその怪物の弱点を見つけるが,それだけでは境界を超えるという勝利を勝ち取ることができない.純粋な思考だけでは役に立たないし,純粋な行動だけでもやはり勝利には至らない.

茂みの中に隠れ,戦況が悪化していくのを見て,かばんはついにカバの言葉の真意を理解する.彼女はさっき取ったパンフレットで紙飛行機を作り,それを使って怪物の気を逸らし,サーバルがへしを攻撃できるようにした.

しかし行動を起こしたことで彼女は敵前に姿を晒すことになり,サーバルが怪物を倒す前に怪物がかばんを攻撃する機会を与えてしまう.

完全に受動的な状態から能動的な存在に移行することで,かばんはついに召命に応えることになる.この内的な越境により,彼女はカバの試練に合格し,ジャパリパークの世界へと入り,つまりはカバの保護に値する存在となる.

キャンベルによれば,召命を「ただ知って信じるだけでいい.そうすれば永遠の守護者が現れる」というが,実際そのようになった.カバは二人を陰から見守り,かばんが怪物に食われるのを防いだ.

サーバルは打撃を与え,怪物は粉々に砕ける.これがかばんが開いていくいくつもの橋の最初のものであり,静止した世界に生命を吹き込むかばんの力を垣間見たサーバルが,その冒険に引き込まれた瞬間でもある.

最初の境界を超える
Crossing Of The First Threshold

さばんなの端で,サーバルのガイドとしての任務は終わり,彼女の限界に達したことが明示される.ここからは,たとえかばんが望んだとしても,彼女はかばんをガイドすることはできない.彼女らは別れることになる.

かばんは恐怖で一瞬立ち止まった後,暗闇の中へ一人で冒険することを再び決意する.ここで,勇気を以て物理的な境界を超えたことに対する報酬として,彼女は新たな仲間,今や好奇心に溢れて追いかけてきたサーバルを得ることになる.

使者としてのサーバルの助言と使者としてのカバの助言はどちらも,2つの独立した召命への受諾にかかっていることに注意してほしい.サーバルがもはやかばんのガイドではなく仲間であることを強調するために,彼らは「もっと普通」の話し方に切り替わる.

夜が更け,かばんはさばんなとじゃんぐるを隔てる古い明かりのついた看板の下で立ち止まる.サーバルの愚かな行動は静寂を乱し,守護神の1人であるロボットのラッキービーストを召喚する.

ボスというあだ名のロボットが,自分はパークガイドロボットであるとかばんに話しかけ始めると,サーバルは驚く.かばんの持つ片方の羽を検知して,彼は帽子の元の持ち主の録音を再生する.

彼女が以前のパークガイドであるミライであること,またかばんがパークを進むに連れて更に多くのメッセージを受け取ることになることは,最終的に我々も知るとおりである.

女性であるにも関わらず,ミライは実際にはかばんの父である.ミライはかばんを産んでいない.(かばんは彼女の帽子の中で成長している.我々はこれを無視するわけではない)

サンドスターのオーブに生命を吹き込んだのはミライの髪の毛だった.髪の毛とサンドスター粒子が何を表しているかは明らかである.

かばんは半神であり,彼女自身もまた,モノミスにおける男性の役割を演じている.創造者の母性的側面を強調する社会においては,最初の女性は「別の段階であれば男性に割り当てられる役割を演じている」とキャンベルは指摘する.

また,かばんは半ズボンを履き,男性の一人称である「ぼく」を使う.しかし彼女は厳密には男性ではないと考えられる.「Bag」というのはとても女性的な名前である.

両性具有であることは,彼女が一種の英雄であることを示しており,また,彼女の積極的かつ受動的な性質を反映している.

かばんがボスと話すことができるのは,彼がかばんをパークのお客さんだとみなしているためであるということが暗示されている.しかし,ミライの録音は,かばんがパークガイドの羽の片方を持っていたが故に再生された.これは,かばんが恵みを受け取る前に直面しなければならない問題の一つだ.

つまり,彼女はよそ者なのか,それともパークの一員なのかという問である.これは,境界を超えるにあたってかばんが直面した,自身の生命について積極的な態度を取るか,消極的な態度を取るかという問題に類似している.お客さんも観察者も本質的には受動的である.

境界超えのテストを通過したので,かばんは「クジラの腹の中」という危機には晒されない.彼女はじゃんぐるの暗闇の中,静かに眠りに落ちる.キャンベルはこの越境を「闇の王国への道」と呼ぶ.

試練の道
Road of Trials

作品の大部分は「試練の道」によって占められている.これは,英雄が自身の価値を証明するために達成しなければならない一連のテストである.けもフレにおいてそれらのほとんどは文字通り,実際の道路上にある.

それぞれのエピソードとそのテーマに関する詳細な考察はこの考察の主眼ではないので,全体を貫く2つの糸に注目する.

各エピソードごとの詳細な考察を無視しているとはいえ,ここに考察すべきことが何もないと言いたいわけではない.取り上げるに値する一つの例は,かばんの迷宮探索はまさに「冥界/地下世界の旅」だったという点だ.

ここでのツチノコの存在は,この解釈なしには説明できない.なぜなら,地下世界は伝説上の生物の住処だからだ.

ツチノコがガイドとして,物理的にボスと取って代わるのは,ツチノコが生者の世界ではなくこの地下世界でのガイドであり,ボスが地下世界ではなく生者の世界でのガイドだからである.ツチノコの名前を同音異義語的に読めば,「土の子」となる.

道中,ツチノコがところどころで尻尾を掴んで転がることで,生,死,そして再生を表すウロボロスのシンボルを明確に示す.これもまた,彼女が地下世界へのガイドである理由の一つである.

キャンベルによれば,「生命は生命の上に成り立つ.これが,自らの尾を噛む蛇,ウロボロスというシンボルの持つ意味である.すべての生き物は他のなにかの死の上に生きている.あなたの死体は他のなにかの食べ物になる.これを否定したり目を背けるのは摂理に反する.死は与える行為なのだ.」

ウロボロスは仏教における円相にも見られるが,これは「千の顔を持つ英雄」の現代の版における表紙にも描かれている.

ここでボスが彼らを放置した理由は,それがアトラクションだったからである.しかし,としょかんにおいては,アトラクション中においてもボスは彼らに同行する.すなわち,シンボルの力で武装したこれらのイベントは,見かけよりも深い意味を持つのだ.

試練の道をたどる最初の糸は,かばんが非日常の世界で成し遂げる最初のタスクで物理的に示されている.じゃんぐるに着いてしばらくの間,非日常の世界に対するかばんの関与は受動的(お客さんのそれ)である.

これは水の中で古い橋を押している船頭ジャガーに出会うまで続く.かばんの川旅は非日常の世界へのイニシエーションと捉えることができる.このことは,さばんなちほーで見られた外面的,内面的な状態変化を再び反映するものである.

彼女がここで直面する課題は,2つに別れたジャパリバスを一体化することだ.片方はお客さんが乗るためのものであり,もう片方はガイドが運転するためのものである.いくつかの試行と失敗の後,かばんは最終的に橋を建築することを決めた.

彼女は川の両端をブリッジすることで,バスをくっつける.ここで,橋は物理的な構造物であるが,それと同時に動詞としても捉えられる.すなわち,橋を架ける,離れ離れになった人や場所をくっつけるということだ.

かばんは橋を架ける.トキとショウジョウトキを結び,アルパカ・スリとお客さんを結び,へいげんの戦争を終結させ,アイドルグループの解散を阻止する,などなど.

他にも,彼女の課題達成に応じて橋が開かれることがある.ロープウェーや地下トンネル,そしてもちろん,さばんなーじゃんぐる間の橋もその一例だ.

それらは彼女が通った後も開かれたままであり,他のフレンズがかばんが開いた道を使ったり,彼女が再開させた施設から何らかの利益を得ているのを確認することができる.彼女の通った跡によって,世界は回復しつつある.

「橋」のイメージはいくつかの重要な場所に存在する.オープニングの最初のシーンは橋であったし,12話の最後のショットでも,遠くに橋が目立つように描かれている.

追手から逃れるために橋を破壊しなければならないとき,かばんは途方に暮れ,この課題はツチノコに委ねられる.ここには十分で具体的な理由があるが,神話は厳密な原因と結果に基づいて語るべきではない.

非日常の世界へ入って以来,かばんは全ての試練を通過してきたが,これについては失敗した.彼女の戦闘及び問題解決は全て創造に関わる手法だからだ.

あるいは,以下のように考えることもできる.地下世界においては,そこに住んでいる怪物たちを鎮めるのはガイドの役目であることが多い.これは,「神曲」において何度も,ウェルギリウスがダンテのためにしていたことだ.

試練の道における第二のテーマは,かばんが思慮深く行動する術を獲得していくことである.ヒトの能力は限りない.彼らは毛皮を持って生まれないが,寒さから身を守るためにかまくらを作ったり,火を起こしたり,動物の毛皮にくるまることができる.

彼らは速くないが,追手から逃げるための車を作ることができる.彼らは車輪のような全く新しいものですらも創造することができる.彼らは何でもできる.

一方で,思考を行動に移さない限り,彼らにはなにもできない.プレーリーとビーバーの姿に,このテーマは最も純粋に現れている.

思慮深い行動はかばんの性格の従属的な側面であり,一義的なものではない.なぜなら,それは道徳的に中立だからである.思慮深くも美徳を欠いたキャラクターは,英雄ではなく悪役という大きな危険になる.思慮深さは人類の生得的な力であるが,最高の形ではない.

人間性を求める彼女の内面的な探求は,彼女が最高の美徳を理解するまで続く.以下の場面を想像すれば,この違いがわかるだろう.

彼女が紙飛行機を投げて,その後素早く,作戦の成功を見届けることなく丘の陰に隠れたとしよう.結果は同じかもしれないが,それは美徳の欠如した行動であり,よりトリックスター的な英雄の担当する領域である.

かばんは聡明であるにも関わらず,トリックスター的な要素を持たない.彼女の力は彼女自身のためでなく,みんなの利益のために使われている.

試練の道の早い段階で,かばんの帽子から羽を盗ったアライさんと,その連れのフェネックの存在を我々は知る.トリックスターの役割は実のところ,世界の(再)構築にあたって決定的な役割を果たす可愛らしく利己的な泥棒,アライさんに属している.

彼女はアライグマであり,これはアメリカ先住民の伝説における古典的なトリックスターである.しかし彼女の同行者であるフェネックはキツネであり,キツネもまたトリックスターである.

この不可分のペアが2人で1つのトリックスター的な姿を形成していると言ったほうが正確だろう.フェネックは狡猾で受動的な理性を,アライさんは間抜けで行動的な感情というトリックスターの特徴をそれぞれ表す.

アライさんは帽子が自分のものだと思いこみ,それを取り返すためにかばんを追いかける.少なくとも,彼女は自身の行動の意味をそう捉えている.

女神との遭遇
The Meeting With The Goddess

キャンベルのモノミスにおける女神は,本質的にどんな女性でもあると記述されている.これがポイントだ.

しかし,彼女との遭遇は他のどんな女性との遭遇とも異なる特別なものでならなければならない.つまり,それは探求の底で執り行われ,結婚というテーマをもたなければならない.

キャンベルによれば,聖婚は「眠りの森の美女」と執り行われる.そして,ろっじでの出来事は「変革」や「橋渡し」といったこれまでの試練の道のテーマに沿っていない.実際には,現在のトラブルの原因はかばん自身,特にミライとの関係にある.

一体化が行われるならば,遭遇のステップは必要ない,だが,一体化は間違いなくけもフレの心臓部である.遭遇のステップは存在せず,ろっじは単純に試練の道という一貫性からは外れたものなのかもしれない.しかし,それでは満足できない.

この一見奇妙なプロットと設定の選択,そしてここでミライが何度もかばんの前に現れるという事実を考えると遭遇した女神というのはミライであるという結論に至るのが自然かもしれない.

条件は確かに揃っているし,かばんは初めてミライの姿に「遭遇」し,ミライは確かに過去のパークを象徴する女神のように見える.解決だナ!

しかし,ミライは父であると信じるに至る十分な理由がある.まず,彼女はかばんの生物学的な父である.一方で,女神はすべての女性へと化身することが可能であり,父としての役割に加えて女神の役割を果たすことも可能である.

このエピソードは,ミライが陥っている最悪の状況をかばんが知っていくことを中心に展開していく.そして,ミライの抱えていた問題は,急速にかばんのものにもなりつつある.即ち,彼女たちは一つになる.

ミライが女神であるという考えには反対意見もあり,材料に欠けるところがあるが,当てはまる点もいくつかあるようだ.例えば,キャンベルは女神について以下のように述べている.

「時は美女を封印して遠ざけたが,時を超越した海の底で,永遠に眠る者のようにその人は住んでいるのである」

ミライの録音が,羽を持つものが現れるまで彼女を永遠の眠りに封印したと考えるならば,ある程度筋は通っている.問題は,ミライが「じっと暮らしている」のではなく,実際に居なくなって幽霊になっていることだ.キャンベルが叙情的になってきたら,最初に言ったとおり,あまり気にしないほうが良い.

すべての賛成反対意見を考えたが,やはりしっくりこない.もしモノミスがヒトの欲望の表出だとすれば,理解する前にそれを感じることができるはずだ.かばんとミライの間の結婚については,それをを象徴するものすらも存在しない.

彼女たちに与えられた役割を考えると,ミライがかばんのホログラフィックゴースト父母となってしまうが,これは無理があるだろう.

上手に象徴を解釈することでこれらの困難を克服できないわけではないが,今回の場合はそうではないだろう.なので,ミライにこの役を固定するのは一旦置いておこう.

ろっじに到着すると,サーバルとかばんが宿泊する部屋を決めるシーンにやたらと時間を掛ける.あなたは妙なものに注目していると感じたかもしれない.なぜ,どこで寝るのかをそんなに強調するのか.

部屋は独特でテーマがあり,全く新婚旅行用にぴったりだ.このエピソードを動かす幽霊劇で,かばんとサーバルは新婚夫婦の役を演じる.

女神との遭遇は,それが最初の遭遇である必要はない.既にパートナーである相手と神話的に「遭遇」することもできるのだ.

ミライ女神説にしばらく気を取られてしまっていたが,真犯人はサーバルだった.憶測と誤解は,ろっじの話それ自体のテーマでもある.

アミメキリンはタイリクオオカミ先生を無名な漫画家と,サーバルをヤギと間違えた.かばんを除く全員が,ミライをセルリアンと間違えた.そして我々はミライを女神だと間違えた.しかし,かばんと同様,我々は結論に飛びつくことなく,真実を明らかにしたのである.

キャンベルの空想を受け入れてみよう.サーバルもまた,「永遠に眠って」いたのだろうか.彼女は,「眠りの森の美女」なのだろうか.ミライと違って彼女は実際にここに住んでいるが,これはこの説の信憑性を高めるポイントである.

一番最初に我々に提示されたのは,眠っているサーバルの姿だった.その後,かばんに気づいて目が覚める.

あのシーンで眠っていたサーバルが,ミライの思い出を奪われ時によって封印された人物であり,何年も前にミライの仲間であったが,今でも変わらず子供の心を持つ若い女性のように見える永遠の存在であると理解するならば,その可能性はある,かばんはサーバルをこれら両方に目覚めさせる.

かばんは眠りの森でサーバルと三晩を共にする.英雄が女神と何晩もベッドで過ごすのは典型的である.女神とは”一夜限りの関係”を持つのではない.これは象徴的な結合である(強調).

かばんはなぜ,象徴的にであれサーバルと結婚する必要があるのか?それは,彼女がミライに取って代わろうとしているからだ.キャンベル曰く,「[花嫁を得ることで]英雄は,自分と父が一体であること,父に代われたことを知る.」

かばんとサーバルが三晩を共にしたことで初めて,ミライを覆うベールを破り,またミライのそばにいるサーバルのビジョンを明らかにすることができる.サーバルの涙と現在進行中の危機についての我々の完全な知識は,冒険が最深部に到達したことを示している.

この最深部の状態は,四神が掘り起こされ正しい場所に戻り,世界への悪の流れが断ち切られるまで続く.女神との遭遇は,ここでは父との一体化を補完するものとして表現されている.

誘惑する女
Woman As Temptress

キャンベルの世界では,誘惑が女性の形を取る必要は無い.「誘惑する女」というのは単に,どんなに並外れた英雄ですらも肉体と血から構成されており,肉体の魅力には逆らえないという意味だ.

ほとんどの英雄は男性である(そしてこれまで見てきたように,いくつかの女性の英雄すらも男性である)ので,女性はそれを象徴するものとなっている.かばんを誘惑する最も重要なものは現実に女性的なものに由来しており,まさに文字通りの意味になっている.

しかし,それだけが彼女を誘惑するものではない.かばんがその探求の旅をやめるように呼びかけられた他の点について注意深く調べると,彼女は聖婚と一体化に至るまでの間にもう二つの誘惑に打ち勝っていることがわかる.

最初の,かつ最も強力な誘惑は女性,すなわちサーバルに由来する.

彼女はろっじにおいて,「ビーバー達みたいに,一緒に住むのってどう?楽しそう!」と提案している.実際には,サーバルはかばんの旅が完了した後でそうしようと提案しているのだが,誘惑という目的では,それを含意するだけで十分である.

彼女は,自分の探求の旅を続けるのではなく,「妻」と幸せで安全な家庭生活を送るという考えをかばんの心に植え付けた.この選択はアキレスに与えられたのと同じものだ.

臆病者が彼の目標に背き,美徳なしにこの安逸な王国を手に入れようとしても,それは虚しい約束に過ぎない.かばんがこの誘惑を否定するのには最も時間がかかり,そのことがその重要性を示している.

しかし彼女は最終的にそれを退けた.船の上で彼女はサーバルに,一緒にジャパリパークに留まるのではなく,海の外に行ってみたいと伝えた.

この拒絶はサーバル,すなわち女神との象徴的な結婚の後に起こる.これは,エネアスがディド女王という偽の花嫁と一緒にいたいという誘惑の,もっと気楽なバージョンを思い起こさせる.彼女にとって幸運だったのは,サーバルは偽の花嫁ではなく,ディドのような悲劇的な結末を迎えないということだ.

他の2つの誘惑も地味だが確かに存在する.2つ目の誘惑はハンターに由来するものであり,またボスによっても暗示されたものだ.彼らのかばんに対するメッセージはつまり,「おまえは弱い,逃げて隠れなければ傷つくことになる」というものだ.

これは単純に,かばんが前に進めば痛みを経験し,死ぬかもしれないということを言っている.ここで働く誘惑とは,痛みを避け,それによって相対的に幸福を大きくすることである.

ボスの「かばん達はここで待っていて」という警告もこれを暗示したものだ.しかし彼女はこれら全てを無視した.

3つ目の誘惑は火山の山頂で,彼女の内面から発生する.地図を見て,かばんは彼女の最終的な目的地が見えていることに気づく.山を降りて船に乗れば,彼女はそこにたどり着けるだろう.これは私欲に走るという誘惑である.彼女はこれも退けた.

この三つの誘惑は,キリストの3つの誘惑と本質的に似ていることを指摘したい.

四神の位置を正す前にサーバルが山を降りて大型セルリアンと戦おうと提案したことがもう一つの誘惑のように見えるかもしれないが,これはより適切には気をそらしただけである.代わりになる何らかの良いことが含まれる見込みが無いからだ.

父親との一体化,神格化,究極の恵み
Atonement with the Father, Apotheosis, The Ultimate Boon

これらの3つのイベントは全て,けもフレ内で密接に絡み合っているため,個別のイベントとして扱うことはできない.

父親との一体化(キャンベル曰く 「At-one-ment」)のための祭壇は,サンドスター火山のカルデラの縁,世界のへそ,生命(フレンズ)と死(セルリアン)の源,天(星[スター])と地(砂[サンド])の架け橋であり,世界を成す4つの頂点(四神)がその中心に集まる場所である.

それはまた中央を象徴する父親の家でもあり,まさに一体化が行われるべき場所である.

息子が父親と一つになり,父親の代わりとなってその役割を果たすためには,まず適切なイニシエーションを受ける必要がある.

キャンベルは,正しくイニシエーションが行われなかった息子の危険さについて,パエトンの物語の例を挙げている.これは特別に関連が深いため,簡単に概略を述べておこう.

パエトンは太陽神ポエブスの息子であり,彼の親について遊び仲間にからかわれた.彼は自分がポエブスの息子であることを証明しようと,父親のところへ行き,1日だけ太陽の馬車を運転したいとせがんだ.彼の願いは叶えられたが,馬車をコントロールできず,最終的に彼は死に,戦車は破壊された.

けもフレでも,この物語はもう一度描かれている.イニシエーションを受けていないサーバルがジャパリバスを操縦したいとせがんで衝突事故を起こし,こはんにおけるイベントの舞台を用意した.ジャパリバスの性質は既知なので,これは特に驚くことではない.

ジャパリバスはハイブリッド車である.つまり,燃焼機関は爆発によって駆動され,バッテリーは液体の水と酸で満たされている.この車がハイブリッドであるという事実は,最後にバッテリーが切れたところで明らかになるが,これは純粋なエンジン駆動車では起こらない.

ミライはかばんの父親であり,ボスはかばんを支配する力を持っている.彼はバスを運転しかばんを適切な場所に留め置くガイドである.彼らは一つの父親像を成している.彼らは同じ声で話す.

女神との遭遇では.かばんがミライに代わってサーバルの配偶者となった.けものフレンズのテーマは,能動と受動の一体化である.それはつまり,理性と感情の,男性的なものと女性的なものの,火と水の合一である.

このテーマは一番最初,サーバルがはあはあと熱い息で息を切らす一方でかばんが冷たい汗によって排熱しているところから始まる.

人間は冷たい汗をかくことで,サーバルは熱い息を吐くことで,熱を外に逃がす.神の世界では,これらの体の構造の違いは根本的な自分自身のアイデンティティと結びついている.

私達は基本原理の合一をあらゆる場所で見た.2つに分かれたバスの一体化,サーバルとかばんの結婚(そのプロトタイプとしてのプレーリーとビーバー),怠惰なライオンと性急なヘラジカ,ファンであるアミメキリンとクリエイターであるタイリクオオカミ,

そして最も重要なものとして,ゲストとしてのかばんとガイドとしてのかばん.

ガイドには訪問者(適切には信奉者)も必要で,そうでなければガイドになりえないことに注意して欲しい.私達はサーバルと一緒に,みんなある場所ではガイドになり,また別の場所ではお客さんになり,つまりガイドされていたものがガイドとなり,逆もまた然りであることを見てきた.

より抽象的には,私達はこのことを,境界のガーディアンと召命,そして非日常の世界に入っていく際にかばんが超えた境界にも見た.

かばんは一連のガイド,つまりサーバル,ツチノコ,そして特にボスに従って,パーク内を旅してきた.彼女はお客さんとしての立場を受け入れ,バスの後部に乗ってきた.そしてついに,それを変える時が来た.

赤い羽根は能動的原理を表している.だから赤色なのだ.これはかばんの誕生時,トリックスターであるアライさんによって盗まれたものだ.トリックスターのペアとしては当然,アライさんが能動的な原理を受け持つことになる.

かばんがはじめ臆病な性格であったのは,これによって生まれつき不完全であったためだ.そしてこの瞬間ようやく,かばんはイニシエーションによって羽根を持つ権利を得た.

この羽根は,彼女がミライとの一体化を果たすために必要なものだ.かばんは腰を上げてそれを達成する必要はない.彼女がそれを必要とし,それを受け取る準備が整った瞬間に,真に超越的な運命の力によって彼女に届けられる.

アライさんはついに彼女に追いつき,かばんの帽子を取り,羽根を元に戻し,かばんの名前と偉業を知ってすぐにおとなしくなる.

もちろん,もしアライさんが旅の序盤でかばんに追いついていたら,アライさんを説得することはできず,かばんは赤い羽根を取り戻せず,盗まれたまま終わっていただろう.

しかし,完全になった帽子はすぐにはかばんに戻らない.それは父親であり真のガイドであるボス/ミライに預けられる.元を正せばこの帽子はパークガイドであるミライのものなのだ.

かばんは父親と対峙する権利を得たが,まだ完了はしていない.ボスはかばんに山を降りてパークから避難するように命じる.

しかしかばんが静かに,「ぼくはお客さんじゃない」と伝え,帽子を取って頭に被ると,ボスは沈黙する.両方の羽根を持つことを認識し,ボスは彼女を「暫定パークガイド」として認める.

この承認が彼のプログラムの結果であるかどうかは重要ではない.神話における原因と結果の関係は象徴的なレベルで語るものだ.

私達は,赤い羽根がかばんにたどり着くのをはっきりと見た.表面的には,赤い羽根は彼女とは全く関係なく,この復活は全くの偶然である.別の見方をすれば,赤い羽根は彼女の全てと関係があり,この復活は運命づけられたものだった.

かばん,サーバル,そしてトリックスターたちは,四神を正しい場所に配置し,悪が世界へ流入するのを断ち切った.この時点で,一体化はほぼ完了している.

大型セルリアンの誘導は,「魔術による逃走」のテーマの条件を満たしていないが,これは重要でも必要でもないので問題ない.

「魔術による逃走」では,強大な力が恵みを盗んだ英雄を追いかける.かばんは大型セルリアンに飛び込むことで恵みを得るが,これとは全く対称的である.

推測の域を出ないが,もし大型セルリアンが何らかの象徴であるならば,それは父親の恐ろしい人食い鬼の一面であるかもしれない.

その唯一の目的は,かばんが一体化を完了できるようにすることだ.これは必須のイメージではないが,次のシーケンスを強化し,同時に一体化にもう一層の深みを与えるという意味で有用である.

一体化は完全には完結していない.なぜなら,明示されてはいないもののかばんはまだ客車側に乗っており,ボスがジャパリバスを運転しているからだ.

大型セルリアンとの戦闘時,かばんはボスと共に前方の動力部にいた.これは地位の向上を示す.しかし,その時点ではサーバルも前方に座っていた.

もし一体化が完全になされたならば,かばんはバス前方のしかも運転席に座っているべきだ.かばんは”暫定”パークガイドであると但し書きがあることにも注意するべきだ.

キャンベルによれば,完全な一体化には「自我そのものへの執着をやめる」必要がある.かばんはこのことを証明していないので,まだ一つやるべきことが残っている.

すなわち,彼女の最大の恐怖に立ち向かい,そうすることで勇気と自己犠牲という最高の美徳を示すことだ.

このような行動はかばんの能動的な側面と受動的な側面の融合,すなわち2枚の羽根の再合一が美徳の導きによって取り持たれることを表す.かばんは自分が何の動物か知りたくて旅に出た.

人間であるとは何かを知ることは,最高の意味で,彼女がここで得た恵みであり,赤い羽根との別離から始まった,彼女の内面の旅,すなわち人間性の探求の終着点である.

彼女が外面的に掲げた目標が変わったとしても,それはこのレベルにおいては同じ一つのものを指している.

ここで働く哲学の原理は西洋的な解釈だ.しかし,美徳の原理以外にこれら全てを説明する東洋の思想があるとすれば,それは驚くべきことだろう.

ミライとの完全な一体化は,彼女の神格化なしには訪れないだろう.かばんがパークガイドになるために,なぜ,完璧な存在であり,自己を犠牲にする必要があったのだろうか?

救世主本人に説明させてみよう.「わたしは良い羊飼いである.良い羊飼いは羊のために命を捨てる.羊飼いでなく,自分の羊を持たない雇い人は,狼が来るのを見ると,羊を置き去りにして逃げる.」

ガイド,フレンズ,訪問者,セルリアン,捕食され,かばんは死に,そしてしばらくの後,再誕する.こんな感じに切り貼りできる.

ここからは,帽子はただの帽子だ.浜辺で彼女は喋るレンズにまで縮小されたボス/ミライを発見し,彼女の手首にはめる.文字通り,かばんは父親と一体になったのだ.

帰還の拒絶,外からの救出
Refusal of the Return, Rescue From Without

再生と一体化の後,かばんが遊園地という楽園に滞在しているのを我々は見る.ここは円相,すなわちかばんが通ってきた,ちゃんと閉じていない円環の末尾である.

彼女は自分のためだけでなく,これまで出会った全てのフレンズのためにこの場所への道を開いた.全ての友達が世界中から集まってくる.

アライさんが広めたであろう誤解は疑いなく払拭され,かばんは自身の誕生の謎を知る.彼女はこの謎の答えを探し求めていたわけではないが,アライさんが直接教えてくれたのだ.

一ヶ月が過ぎた今も,フレンズたちはまるで戦いの翌日であるかのように,祝宴を挙げて遊んでいる.キャンベルはこのような心の安らぎ,魂と体の糧を「決してなくならない乳の天国」と表現する.

普通の人ならジャパリパークを離れようとはしない.しかし,霊薬を持った,というよりも霊薬それ自体であるかばんは,フレンズや人間のために,崩壊した世界に再生をもたらしに行く.

この仕事は彼女が仕事を終えたジャパリパークを出るまで始めることができない.しかし船は破壊されている.

かばんは,「外はいつかでいいいかな」と自分を納得させる.しかし,彼女はまだ島の外に出てヒトを探すことを望んでいる.サーバルと他の人々は,彼女をこの幸せな状態から救出しなければならない.

フェネックはサーバルに,ジャパリバスを持ってくるのがバレるのを避けるため,かばんの気をそらすようこっそり伝える.

大観覧車の中で一体化後の追伸があり,かばんは,ミライや他のヒトが島の外でまだ生きているかもしれないこと,そしてミライが自身の母親であることを知る.

なぜこれが一体化の後の追伸であるかといえば,羽根が彼女のもとに戻ってきたのと同様に深遠な道のりを経て,かばんがミライと一体化した後にこの情報を受け取ったからだ.

キャンベル曰く,「これが神話と象徴を理解する重大な鍵なのだが――,二つの世界は実は一つなのである.神々の世界は,私たちの知るこの世界の忘れられた次元である.」

観覧車はまた,ジャパリパークをかばんに一望させるという点で,救出の受動的な形と考えることができる.サーバルの知らないところで,かばんはジャパリパークの小ささと外の世界の大きさが持つ可能性についてよりよく理解することになる.

観覧車に乗った後,ジャパリバスを改造した船という能動的な能力をフレンズたちから与えられ,かばんは島を離れることが可能になった.

二つの世界の導師,帰還の境界超え,生きる自由
Master of Two Worlds, Crossing Of The Return Threshold, and Freedom To Live

能動と受動という二つの世界は,けもフレにおいて動物と人間の世界に関連付けられる.

かばんは人間界への熟達を示したり,得た技術を教えたりする必要はない.なぜなら,彼女はずっとそうしてきたからだ.しかしフレンズたちの不安を鎮めるため,彼女は木に登り,みんなから能動的原理を学んだことを示した.

サバンナ―ジャングルの通過を再演し,かばんは帰還の境界で立ち止まり,振り返ることなく前に進む.今回は,恐怖ではなく愛ゆえに.

以前言ったとおり,この帽子はもはやただの帽子であるため,サーバルに残される.かばんは今やガイドであり,ミライ(未来)と一体であるため,彼女は自分の手でハンドルを握る.

彼女は生きる自由を得て,「(英雄は)永遠の存在を変化させて破壊するものだと,次の瞬間を恐れることもない.」(キャンベル)

もちろん,彼女はガイドであり,ガイドには信奉者がいることは既に述べたとおりだ.これがまさに,サーバルと他の数人が該当するもの,すなわち彼女の弟子である.最終的に完成したジャパリバスでは,ガイドは道を示すのみで,信奉者達は自分の力で同行する.

最後に,そして一体化についての再検討
Coda and The Atonement Revisited

頭がくらくらとする.私や仲間の考察班達が神経を張り詰めていた,爆撃機の形や不明な人類の現状といった,何かが水面下で動いている気配について,それらに対する真実を得ることができなかったので,私たちは気が狂いそうになった.

既に他の人が解釈し分析済みの本を読むならば,仮に本の内容がわからなくても,読んだ後に何らかを得られるという期待が持てる.

しかしけものフレンズは?全くの混乱だ.何が起きているんだ.

これは自分のために,それを明らかにするための試みだった.今は落ち着いていて,混乱した頭はまたIQを失った.私は今,けものフレンズの重要なことを理解した.

重要なのは,キタキツネがギンギツネの名前を呼ぶ時の最後の音節で,ギンギツネをお姉ちゃんとして呼んでいるように聞こえるということだ.

けもフレにはまだまだ多くの謎が残っている.もしあなたがその答えを発見しようと試みているならば,この文章が役立ち,あなたの将来の努力をより実りあるものにすることを願っている.

優れた考察は要素を増やしたり隠したりするのではなく,要素を減らして,明らかにするものである.また,優れた考察には予測力がなければならない.内部での整合性と証拠に支えられていなければならない.

私の考察にもこれらの穴が発見されるだろうが,最善を尽くしたつもりである.

執筆が終わる頃には大きな問題はようやく解決したように見えたが,まだ一つ小さな問題が残っていることに気づいた.あまりにも些細なことだったので細かい解釈のあやとして無視したくなった.一切の言及を避けてあえてここまで隠していたのは認めよう.

私たちは,一体化の大部分が適切に世界のへそ,父の家で執り行われたことを確認した.しかし,一体化が完了した時,彼らはもはやサンドスター火山のカルデラには居なかったのだ.

私と同じように,あなたも大した問題ではないと思うかも知れない.彼らは適切な場所でそれを始めたのだから.

それでも,ここに並べた2つの興味深い写真を見て欲しい.大型セルリアンを倒したあと,たくさんのキャラクターが砂浜をさまよう姿が映し出される.それらには太陽が映り込むべきなのだが,どのショットにもそれは無い.

かばんが砂の上に横たわっているボスを見つけ,彼女とサーバルが早すぎる死を悼んでひざまずいた時,頭上に太陽が際立って現れる.

これは本物の砂(サンド)であり,本物の星(スター)であり,私たちの世界に生命を湧き上がらせる本物の水である.これが本当の世界のへそなのだ.

その後唐突に,一見何の理由もなくジャングルへの橋のところへ引き戻して,普通の動物に生まれ変わってはあはあしているアードウルフの姿が映し出される.

私たちは突然に,しゃべる動物についての他愛もない寓話について,我々がずっと語ってきたものの正体を知る.海の前進と後退,吸気と排気といった,私たちの世界とその対位的なリズムだということを.

訳者あとがき
Yakusya Atogaki

この文章は,少なくとも2017年4月3日にPastebin上に公開されています.けものフレンズ最終話の最速放送は同年3月29日であり,そのたった5日後に出版されたことになります.

著者が英語話者であることを加味するとなおさら驚異的なスピードですが,考察の内容もまた恐ろしくハイレベルなものです.Kemonomyth翻訳プロジェクトは5月頭から始めたのですが,動画として完成させるまでには半年かかりました.

この文章は,Giraffe-anon氏によって書かれた”Kemonomyth”の全訳です.原題は”Kemono”(けもの)と”Monomyth”(単一神話論)を合成した秀逸なタイトルになっています.

そもそもこんな長文の和訳なんてしたことないし,単語はモノミス用語がバカスカ出てくるしでとても苦戦しました.最後までなんとかやりきったのは,ひとえにこのKemonomythという偉大な著作を多くの人に知ってもらいたかったからです.

自分の考察内容とほぼ同じことが書かれているのは驚きでした.悪く言えばサーベイ不足,車輪の再発明ですが,時間も空間も離れた他の人が全く同じことを考えていたということは,「本作はモノミスに則った作品である」という主張の大きな補強になります.

私がKemonomythを知ったきっかけは,「千一番目の英雄としてのかばんちゃん」動画に来たコメントでした.(教えてくださった方ありがとうございます)動画投稿前にはこの文章の存在は本当に一切知らなかったのです.

今回の翻訳作業を経て,けものフレンズの新たな側面を見いだせたと同時に,「千の顔を持つ英雄」という名著を楽しみながら読み込むことができました.

「精神的なお土産をたくさん与えてくれるのがけものフレンズという作品のパワーであり,素晴らしさである」と言った人がいるようですが,放送から2年経った今もそれが続いているというのは,すごいを通り越して恐ろしくなってきます.

そういえば,かばんちゃんを象徴するモチーフは「橋」であるという主張もまた,Kemonomythでとっくに指摘されていたことでした.本作では更に踏み込んで,「橋を架ける」という能力こそがかばんちゃんの持つ特性であるという主張をしていたのが印象的です.

かばんちゃんを尊敬し崇拝する私としては,この動画によって日本語と英語の間の「橋を架ける」ことができていたら,とてもうれしく思います.

以上で動画は終了となります.長時間のご視聴ありがとうございました.

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